タイ・アラカルト
バンコク遷都20年
ワットプラケオ
王室の寺院であるワットプラケオ


 4月6日はチャクリ記念日です。1782年のこの日、現チャクリ王朝が誕生したことを記念して設けられました。 今年は、王朝と同じく誕生したバンコク市の誕生220年目にあたります。
 音楽、踊りなど文化行事のほか、凧揚げ大会など多岐にわたる記念行事が催されています。王室の寺院であるワットプラケオや暁の寺院ワットアルンの特別照明は、年末まで続きます。そのクライマックスは、12月5日の国王誕生日でしょう。
 これまでタイ旅行を考えながら実行していない方、再度のタイ訪問を考えている方にとって今年は、またとないチャンスかもしれません。以下は、バンコク誕生と最近のバンコクの様子の簡単な紹介です。


アユタヤ王朝の滅亡とトンブリ王朝の成立
 チャオプラヤ、パサック、ロッブリーの3河川が合流して作り出す大デルタの安定した稲作と海外交易のもたらす富で版図を拡大し、400年を越える栄華を誇ったアユタヤ王朝は、長年のビルマとの戦争の末、1767年に滅亡に追い込まれます。
 その時、ビルマ国境に近いターク、カンペンペットの領主に任じられていた後のタクシン王は、一度タイ南東部のラーヨンに退き、兵をまとめてビルマ軍を打ち破りました。
 彼は、タイの宗主権を回復すると、都を現在のバンコクの対岸、チャオプラヤー川の西岸トンブリに移します。トンブリ王朝の成立です。この地は、今も暁の寺院や水上マーケットで観光客の絶えない地域です。


トンブリ王朝から現ラーマ王朝 チャクリ王朝)へ

 トンブリ王朝は、タクシン王の常軌を逸した暴挙のため15年で途絶え、そのあとを受けて、王位に就いたのが、現ラーマ王朝チャクリ将軍です。ラーマ一世は、1982年、即位と同時に、都を対岸の現バンコクへ移しました。バンコクに都を移した最大の狙いは、ビルマ軍の再来に備えることでした。王は、西岸のチャオプラヤー川と新たに建設した大きな運河で新都を取り囲み、川中島の堅固な要塞としました。そのため、さしものビルマ軍も、この要塞を攻め取ることが叶わなかったのです。

バンコクの魅力、壮大な多くの王宮・寺院
 
川と運河に囲まれた旧市内には、王宮、王宮寺院など多くの壮大な造営が行なわれました。市街地が運河の外側へ大きく発展、拡大した現在も、バンコクの中心地の魅力と重要性は、いささかも失われていません。
 バンコクの地名は、マコーク(オリーブの一種)の村(バーン)と言われます。このバンコクの地名は、商業的、国際的な地位の向上とともに海外で知名度を高めています。
 一方、国内ではクルンテープと呼ばれています。これは、新たな都の地に奉じられた頌詞の冒頭の言葉「インドラ神の造り給うた崇高なる宝玉の大いなる都市・神の都市」で、天使の都を意味します。この名前を耳にし、また口にする時、地方に住むタイ人は、その名の響きに尽きぬ憧れを感じ、ここに住む人たちは、大きな誇りを感じるようです。


交通事情も着々と整備  
 
都市の拡大と近代化が進む中で、一時、「渋滞時の車の速さはナメクジの如し」と揶揄され、交通事情は世界最悪と言われましたが、各種インフラの整備で急速に改善されつつあります。
 その代表的な例が、スカイトレーン(アストラムのバンコク版)です。市街地の渋滞を眼下にしながら冷房の効いた中で、時間通りの移動しています。現在の2本の路線の延長が期待されています。 地下鉄も2004年8月の開通を目指し、着々と工事が進められています。更に、チャオプラヤーをまた新たなラーマ八世橋の完成も迫っています。



スカイトレーン
スカイトレーン

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